RIDDICK

「RIDDICK」は、早速うちの会社の山ゴリラに目を付けられ、
明日火曜日に返してもらう約束が「木曜日でいいべ」と言われ、
うんもすんもなくそういうことになってしまった。
うちの会社の山ゴリラは、生まれも育ちも余市町、そのなかでも浜町育ち。
生粋の漁師の息子だ。北海道弁のなかでも特に難解とされるハマ言葉を自在にあやつり、「ひ」と「し」の音が全部「し」になる。たとえば「広い部屋」は「白い部屋」になり、「ヒンズー教」は「シンズー教」になる、ってな感じだ。たいてい何とか本意を理解できるのだが、「広い部屋」と「白い部屋」では、さすがに全然違う意味になってしまう。めっぽう押しが強い上に調子の良さが加わって、言い出したら止めようがないこともあるが、あまり利口な方ではないので適当にちょして遊んでいる。

「RIDDICK」のジャケットを見せたときも、
「あっ、それ、新しいやつだべ」
というので、
「そうだよ」
「面白いか?」
「それは見た人によるから何とも言えないよ」

「面白かったか?」と訊けば「うん」とか「いいや」とか、答えるものを、
「面白いか」どうかは、自分で決めて下さい。

そうはいってもべつにこの山ゴリラを嫌ったり、軽蔑したりはしていない。
山ゴリラに関する面白い話はいっぱいある。

今思い出せるのは、彼が学生のとき、
南米に柔道交流に渡ったときの話だ。



                                                                                                                 
彼は柔道の、当時は軽量級(今はその面影はまったくない、惨憺たる風体)の全日本代表候補強化選手だったらしい。本人はそう言っているが、実のところは知らない。
ただ、はるばる南米にまで行ったのなら言う通りなのかもしれない。
当時は海を渡るなんて誰にでもそうそうできなかったのだ。
1ドルは360円もするし、海外旅行なんてまだまだ小金持ちの道楽だったころ。

柔道家を目指す若き日本の選りすぐりのエースたちは、
飛行機を乗り継ぎ、バスや電車をいくつも乗り継ぎ、
南米各地を回ったらしい。
今のように情報が田舎のすみずみまでいきわたっているような時代ではない。
日本に対するイメージも相当婉曲されていたらしい。

まっ、つまり柔道も剣道も空手もなく、
何もかも日本文化がみんな一緒くたになっていたのだ。

日本の若きエースたちは、
神聖な道場で、ニッポン柔道の神髄を
伝えるべく張り切って行った。
一列に並んで現地の柔道を志す若者たちを迎えたが、
向かいに並んだのはみな一様に奇妙きてれつな出で立ち。
剣道の面をかぶっているやつ、
腰におもちゃの刀みたいなものをぶらさげているヤツ、
祭り半纏を羽織っているヤツ、
どこから見つけてきたのかちょんまげのカツラをかぶっているヤツ、
相撲の回しならまだしも、
ふんどし一丁のヤツ。笑うなと言う方が無理だ。
私なら即座に転げ回って大爆笑だ。誰も止められないだろう。

しかし、若き柔のエースたちはみだりに笑うことを許されていない。
だってここは真剣勝負、柔の道の、神聖な道場なのだ。

「ぶっ」
1人がこらえきれず吹き出した。
「おらーっ、そこっ。なあにを笑っとるんだぁーっ」
師匠のカツが飛ぶ。
吹くこともできない。肩ばかりが揺れる。

師匠はひとりずつに、
「面はとりなさい」「刀はいらない」「これを着なさい」と、
まずは丁寧にやさしく服装指導して、それから組稽古が始まったという。

「いやー、おめえ、あの場にいてみれって。あんな辛かったことはないな。
笑ったら頭どつかれんだからなっ。こっちもこらえるのに必死でよお」

ご苦労さんでした。

また、タイトルと全然関係ない話になっちゃったなぁ
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by peteandfluffy | 2005-02-28 19:56 | 雑記  

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